神戸北・淡河城周辺の支城?・付城?
僧尾城・南僧尾城・北畑城・東畑城 |
近畿の山城(阪神・淡路) 僧尾城と南僧尾城
北畑城と東畑城
僧尾城と南僧尾城 北畑城と東畑城
僧尾城と南僧尾城
僧尾城(北僧尾城)
xxx山 Ca230m 神戸市北区淡河町北僧尾
中国自動車道東条ICから県道 17号渡瀬バイパス道を吉川町に入り渡瀬橋から吉川高校前
(
渡瀬城が在る)に出て県道354号を南下すると吉川町西奥で、
吉川ICからのR428号線に合流し市境界を越えて神戸市北区北僧尾に入ってくる。
北僧尾の棚田から僧尾城を望む R428号を南下すると山陽自動車道を潜り淡河本町で県道 38号(三木
三田線)と交差する。道の駅”淡河”が在り、間近西側に
淡河城址を見る。山陽自動車道の北・R428号線の東一帯:神戸市北区から三木市吉川町にかけて、目立つ山岳も無く・深い谷間もない。加東市東条谷から吉川町へと
ウネウネ起伏する広大な穀倉地帯の低丘陵斜面には美しい棚田が
北西端
(二ッ池北東端)の土塁虎口? ・丘陵上部には各ゴルフ場が展開する。兵庫の代表的酒米:山田錦の里としても知られる。僧尾城に向かう途中には醸造酒の銘柄名が表示された
田圃もあり、田圃ごと買付けられた稲田を見る。集落内に点在する民家は少ない(空き地・空き家を
見かけないので過疎では無さそう?)が、トタン屋根に覆われた家もあるが茅葺き屋根を残す民家は他地方・地区に比べて多い様だ。
同:北西端の土塁虎口内の土塁囲み曲輪!? 現状からは二つの城の所在位置に何故此の場所に・・・?とも思えるが、
三木城方面からの県道38号線は淡河城から南へは箕谷(有馬方面・神戸市
中央区へ)、
北方へは吉川・三田方面へ抜ける街道や間道があり、南僧尾城の西側を通る地区道にも石仏道標を見る。僧尾城の西を抜ける長閑な田園風景の中にも吉川町へ通じる間道が有ったものか?。
西斜面(二ッ池側)もう一つの虎口?内上り土塁? 僧尾城
・南僧尾城ともに築城時期・目的・城主等の城史不明だが、室町時代後期?の僧尾城は三田・吉川方面から淡河城への北入口を守備・監
視の砦。南僧尾城には堀切が無く・天水井戸?や空掘・街道筋側に向け長い上り土塁道・段曲輪が並ぶ。萩原城の真北約1km程に在り萩原城と共に
淡河城攻めの付城となっていたのでは・・・?とも想像する。
西斜面の低土塁を介して枡形状 ?とも「喰違い」とも思える土塁虎口 北僧尾・南僧尾からは○○ロイヤルゴルフ場を東方に越えた淡河町神影には
石峰寺城が在る。赤松円心の三男:則祐が暦応2年(1339)南朝方に
あった丹生寺を攻め淡河・石峰寺・三津田での合戦に、淡河城は落城して赤松氏の東播磨の拠点となった様だが、白雉2年(651)法道仙人開を伝える古刹:石峰寺は孝徳天皇の
勅願寺として栄え中世には一里四方を寺領に持ち、
主郭西北尾根沿いの曲輪群
多数の僧兵を養っており幾度となく繰り返された戦いには背後の山上に築いた城砦に篭っている。南北朝期から室町時代初期の頃は”僧尾”
の名からも、南朝方に与した僧尾城・南僧尾城の二城が石峰寺城への西からの侵入口を守備・警護した防衛拠点になっていたものと想えてくる?。
勿論:丹生山の丹生神社・其の神護寺の明要寺警護の砦とも推察するが!!?。
主郭北東寄りの天水受け井戸跡? 丹生山側は源平:一の谷合戦へは源義経等郎党が丹生山を越え鵯越に向かった義経道。三木合戦には
丹生山城が築かれて
三木城への兵糧
搬送ルートともなった。余談はさておき:僧尾の城址への訪城ルートは何れもが地区道で、
バス停も交差点名も・目印となる建物等さえもないので説明が難しい。先ず
僧尾城(北僧尾城)へR428号を吉川町湯谷から北僧尾に入るが、
主郭東尾根続きの堀切(約3m) 北僧尾バス停まで南下すると行過ぎか?、目的地まで迷うこと必至。市境界からは500m程南で
左折し狭い車道を下り棚田を望みながら進むが、地図を見れば長くほぼ直線的な用水路を挟んで左右に車道が走る。其の先
端に有る貯水池前の
二池橋で左右の道が繋がる。此処からは東側の低丘陵を囲う様に二方向の車幅も狭く感じる道が延び、池端には茅葺き民家が建つ。
僧尾城への取付きは藪地だが侵入口が二箇所程ある。
主郭東尾根続き・もう一つの堀切(約3.5m)
用水路に沿う左右の道が二ッ池(用水池)北端の橋で繋がるが橋の東詰め・丘陵麓西北端によく踏み込まれた土塁虎口状から竹林の土塁囲み?袋小路状の小曲輪に入り、正面の尾根筋状を進むと
2-3段程の曲輪(切岸2m程)に
着き、その上の低段差だが 雑木藪の中の広い主郭に出る。
一角に幅2mX5m程の埋れかけた窪地は天水受けの井戸跡か?。東への尾根続きの盛上がりは堀切の堀底からの切岸を立てる低土塁!?。堀切は土塁(土塁曲輪?)を挟んでの二重堀切は共に高低差3-3.5m程。
僅かに低土塁の痕跡が窺われる僧尾城主郭 外側堀切の北斜面に竪堀状の溝があるが
谷は浅く幅広く…自然地形か?。僧尾城へは二ッ池北東端から 取付いたが、直ぐ2-30m程車道沿い南の茅
葺き民家が見える地点から(篠竹に入口が塞がれているが)も侵入出来る。左右が土塁虎口となる狭い通路を進むと先程と同様・左手に土塁が続くが上方に延びる上り土塁を上部の主郭北側段曲輪に出る様だ。
南僧尾城:車道側から即取付く上り土塁が段曲輪群まで延びる 主郭から北西への尾根上
・南西への尾根に囲まれた丁度中央部付近にあって上り土塁が大手道か?。殊に土塁道の南側谷底が竪堀にも思えるが自然地形なのかも・・・比高40m足らずの単郭の丘城だけに、取付き部の屈曲している藪に覆われた
土塁虎口?を枡形(喰違い?とも見える)虎口と見るには、もっと城史や城主・時代背景までも考察してゆく必要がありそうだが情報不足。
南僧尾城 xxx山 Ca160m 神戸市北区淡河町南僧尾