丹波の産業:特産  1.丹波栗 2.大納言小豆  3.丹波黒大豆 

丹波栗   丹波市山南町(久下・岩屋)

秋に発生する丹波の深い霧が丹波ブランドの美味しい米や豆・松茸・栗を育ててきた事はご存知ですね。山南町の久下・上久下地区は古来 栗作郷と呼ばれ井原の郷と共に丹波栗の中心地でした。「栗作」の地名は古くから栗を朝廷へ貢進していたところで用明天皇(586〜588)のときからという伝承があります。鎌倉時代から室町時代には皇室の食料を司る御厨子所や 蔵人所の供御人として、その長官であった山科家に納め栗作御園も置かれていた。「その大なること鶏卵大の如し。諸州・・・丹の産に及ばず」
クリの花(6月)

(17世紀末の薯本朝食鑑)丹波栗と呼ばれて天下に名高かったのは直径5〜6cm・重さ 50〜60グラムにも及ぶ大粒の長光寺と足利義詮の爪痕栗伝説(手々打ち栗 )テテウチがある。 この地のカチクリは勝栗として縁起よく戦勝祈願等の祝儀の膳にに用いられたようです。 「長光寺」は量産が難しく収穫期も遅い。「テテウチ」は殆ど作られていないが山南町岩屋(石龕寺に向かう沿道)寺内勝治さんの栗園に1本の「長光寺」と「「テテウチ」が5本ほど残っている。 丹波栗は大きさだけでなく甘味・つや・身の締まり・日持ち等全てに勝っている。柏原農業改良普及センターや寺内さん達によって丹波栗のルーツ「長光寺」を復活させようと苗木がそだてられている。
===兵庫ふるさと散歩・神戸新聞丹波版等から===


丹波大納言小豆  丹波市春日町東中

小豆の中でも大納言は最優秀のものを意味するようですが、大粒で表皮は薄く、 色艶も美しくて甘味がある丹波大納言小豆発祥の地は、西多紀アルプスのさらに西に続く三尾山を望む山麓に有って国領温泉に近い春日町東中地区の県道沿いに「大納言小豆発祥地 」の記念石碑が建てられています。中でも「黒莢(さや)大納言 」は東中地区の一部でのみ栽培されていた超稀少ブランドで、 国内総生産量約64,000トンの内の僅か2トン程。この歴史は古く、 宝永2年(1705)l亀岡藩主:青山下野守忠重が、此処の小豆の優秀さに目をつけ一石あたり上納させ、その中からさらに精選して一斗を5代将軍徳川綱吉に献納した (生類憐れみの令の悪法は1709年廃止されたが・・)。
丹波大納言小豆発祥の地碑と三尾山

綱吉はその中からさらに粒を選んで京都御所の天皇に献上したといい、その際「大納言小豆」の称号が与えられたとされます。 寛延2年(1749)青山忠朝が亀山藩(亀岡市)から丹波篠山藩に転封された後も、明治維新まで東中の小豆は京都御所に献納されていたと伝えられています。 大納言の三角点名がある東中ですが名前の由来はこうです。「大納言は殿中で抜刀しても切腹しなくても済んだ」という大納言の位の重さと、煮ても腹が割れて壊れる事もなく光沢が美しく 上品な甘味があって糖分も多いので、長期の保存も効く等の特徴があります。腹の割れないこの小豆を大納言小豆と名付けられたといいます。
===兵庫ふるさと散歩 ・神戸新聞丹波版等から===


丹波黒大豆   篠山市 西紀町  わたしゃ丹波の黒大豆、玉と味では日本一 丹波黒豆館が西紀町黒田 にあります

黒大豆は西紀町の川北が本場(川北黒大豆)で粒が大きく、煮ても皮がはげない上・色が黒のままで紫色にならないのが特徴。正月のおせち料理用に最上品として喜ばれています。
(黒大豆のお話)昔旅僧が病気で苦しんでいるのを庄屋が助け家で養生させていた。ところがその年は大旱魃で村人は他所の僧を村に入れたためだといって追い出し策を考え、 白大豆を炒って黒くし、これを植えて芽が出たら村に置くと難題をもちかけた。僧は7日の猶予を頼み一粒一粒と撒いていった。それが不思議に八日目に芽を出し秋には黒大豆が実った。それが川北大豆であると。

篠山藩主が農業振興に力 を注いだ特産物として、毎年精選したものを年貢として取り、これを将軍へ献上物としたといいます。城東(八上付近)では波部黒があり、 これは浪部本次郎が川北大豆から大粒を選出して作り、淘汰を重ね全国に有名になった品種です。
===兵庫ふるさと散歩 ・神戸新聞丹波版等から===
 

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