丹波の自然
木の根橋 安田の大杉 追手神社のモミ  高座神社のフジキ 医王寺のラッパイチョウ 黒井川と山南町のオグラコウホネ
乳の木さん(大銀杏)  鴨神社と大銀杏 オオアカウキクサ  セツブンソウ・ユキワリイチゲ・アズマイチゲ お苗菊(篠山中菊)

木の根橋(ケヤキ)  丹波市柏原町

柏原町役場の隣、毎年2月17〜18日柏原厄除大祭で賑わう八幡神社の参道にあり、観光案内所の赤い橋の横には木の根が橋になっている大ケヤキがあります。 柏原藩の城下町として名残、陣屋跡や長屋門・歴史民俗資料館や隣接する田捨女記念館、 高燈籠へと散策できます。木の根橋周辺はこの他にも太鼓櫓や田捨女生誕地が近くにあり柏原観光スポットがめじろ押しです。

此処に幹廻り約8m、樹高30m,樹齢推定800年の大欅(けやき)があって 町内を流れる奥村川(幅約6m)を跨いで自然の橋をかたちづくっている木の根橋があり四季を通じて町民に親しまれる「柏原町のシンボル」となっており 兵庫県指定(昭和45年3月30日)の天然記念物になっています。ケヤキはニレ科の広葉樹で日本列島に広く分布し、古くから社寺の建築材料として良く利用されてきました。 公園樹・街路樹・庭木等にも植えられる寿命の長い木でもあります。


安田の大杉   篠山市安田

173号線を池田側へ右折してすぐ安田の交差点を左折して372号線に入ると左手に”丹波の青鬼”籾井氏の 籾井城が有る白尾山の小さな山並みが田園風景の先に横たわっています。 篠山市から亀岡市へ向かう京街道(デカンショ街道)と、摂津池田市へ向かう池田街道、綾部市・福知山市・舞鶴方面に向かう但馬・丹後街道が交差する交通の要衝です。ここ安田の交差点西側に有る川原の住吉神社末社 ・貴船大明神には「安田の大杉」の看板が目に入ります。
安田の大杉「甚七森」の威容

この杉が境内を覆い遠くから見ると、まるで森のように茂って見えるため甚七森と呼ばれ丹波最大の杉の大樹で 県指定天然記念物 (昭和45年3月27日)。推定樹齢800年・樹高33m・根周り13.2m・幹周り9m・地上4mの所から2本に枝分かれしており、交通の要地で播州や但馬への旧京街道筋で旅人の目印にもなっていました。 この地は篠山城に至る1里松(1里塚代わりに)が植えられ八上城跡の山裾や波々伯部神社の鳥居横にもXX代目1里松があります。
(篠山市教育委員会 現地案内板参照)


此処に来る途中(日置)には裸ガヤがあり 世界にただ一本だけという珍しいもので国の天然記念物になっています。足利尊氏が戦勝祈願して植えた話があり私・天々宇知栗と似た由緒があります。


追手神社のモミ  篠山市丹南町大山  真未

追手神社
は 祭神に大山祇命を祀る境内に大樹が目立ちますが中でも「千年もみ」は平成元年12月12日県の郷土記念物に指定され無病息災・長寿の神木として「夫婦銀杏」は推定樹齢350年、夫婦円満の木として 親しまれています。周辺は日本最西端のアズマイチゲの自生地で昭和35年1月に丹南町の天然記念物に指定され、他にもセツブン草、雪割りイチゲ、ニリンソウの自生も見られます。セツブン草等は毎年 ・被写体としてカメラマンの人気を集めているそうです。
追手神社のモミ」は平成元年環境庁の調査で全国一のモミの巨木として国指定の天然記念物(平成6年3月23日)になっています。 推定樹齢1000年、樹高34m、幹周り8mの堂々たる大木です。


高座神社とフジキ   丹波市山南町谷川

山田川に沿って進む首無地蔵尊への道すがら、鳥居跡に建つ大きな石燈籠が高座神社(延喜式内社)の目印!!?。丹波国造の創立といわれ、創建年代は不詳ですが祭神は主神に高倉下命(たかくらじのみこと)を祀り、祖神に関係深い四柱 (天火明命・比賣神ほか)の神が配祀されています。元禄6年(1693)に建立された石造の鳥居は町指定文化財【昭和54(1979)12・9】で
高座神社社殿

再建された本殿は宝永2年(1705)上棟・同3年2月には遷宮され、県指定文化財【昭和51(1976)3・22】となっています。 身舎正面桁行五間・梁間二間・庇一間の社流造で一間の唐破風造の向拝を付け、背面は柱間六間、 桧皮葺き屋根正面に双千鳥破風をおくという特異な形式をもっている。
斗供は和様三手先 (正面中央間は詰組形式)中備蟇股付、背面を除く斗拱部尾捶は龍頭に造る。手挟.墓股、 板支輪の彫刻や妻組の構成には、当時に盛行した手法が駆使されている。大工の棟梁は地元:谷川の清水武右衛門で18世紀初頭の神社建築として県下において他に例のない貴重な遺構である。
高座神社のフジキ(天然記念物)

(= フジキ =) もとは金屋に鎮座されていた高座明神は玉巻城主:久下時重が祈願所として観応年間(1350-52)造営されたが弘治3年(1557)現在地に移された時に境内に植えられたといわれ、 室町時代末期にかけて在地豪族・久下氏により植樹されたものでしょう?。境内に入って直ぐ一際偉観を見せて立つフジキの巨木があります。全国でも二ヶ所だけと云われる平地にある高座神社のフジキは 根回り6.8m・目通り幹周り3.5m・樹高20m・推定樹齢450年といわれます。”フジキ”はマメ科フジキ属の落葉高木で”ヤマエンジュ”とも呼ばれ、成長すれば15m程の高さになり、本州福島県以西や 四国地方の湿気の多い山中に稀に生えるという。暖地に生育する木が、此のような北部山地に有るのは稀で丹波市唯一で、兵庫県下は勿論全国的にも大変貴重なものとされ、県下でも第二位の巨木といわれ 、町指定文化財【昭和51年(1976)12月9日】・県指定文化財【平成5年(1993)3月26日】となっています。
(高座神社の案内板・兵庫県教育委員会 及び” 氷上郡の文化財”を参照)


医王寺のラッパイチョウ    篠山市丹南町

篠山市丹南町・医王寺の境内にはラッパイチョウと呼ばれる変わった形容の葉っぱをしたイチョウの大木があります。 樹高20m・根廻り約6m・推定樹齢300年、昭和35年(1960)兵庫農科大学に在学中の湯浅浩史、辻啓介両氏により発見報告されたイチョウの原始葉と考えられ、 普通のイチョウの葉に混じって各枝毎に葉先がくっ付いて、 丸い円周(ロート状)の葉が正常な葉と混じって約10%ほどついていて葉元が 閉じた形をした、さながらラッパ状の姿です。突然変異でも起こしたのでしょうか葉が珍しいので県指定天然記念物として昭和52年3月29日に指定されています。
医王寺のラッパイチョウ

ラッパ葉をもつ銀杏はたまに発見されるが、 医王寺のものはその出現率の高さや奇形葉の種類 (ラッパ葉、オハツキ葉、傘状ラッパ葉)が変化に富んでいます。今のところ中国大陸で2例、 兵庫県内で2例しか発見されていない植物学的にたいへん貴重なものです。銀杏の奇形には他に、実に葉っぱの上に銀杏がなるオハツキイチョウが各地方にあります。葉の形から広葉樹と思われがちですが 針葉樹に分類されています。茅が少なくなった現在では碁盤などにも利用されますが、まな板は高級品で寿司屋で出されるまな板もイチョウの木が使われています。
(探訪ひょうごの天然記念物 神戸新聞総合出版センタ 医王寺の篠山市教育委員会の案内板等参考)


黒井川と山南町のオグラコウホネ  春日町黒井  山南町野坂

コウホネは日本原産で 北海道から九州まで広い地域の小川・池・沼・水路に自生する浮葉を持つスイレン科の多年生宿根生草本の水草で三様の異型葉をもつことで知られる。北半球に約十種分布し、日本には八重咲きのものなど変種も含め、ヒメコウホネ・ベニコウホネ等七種分布しています。別名として水鏡草、金蓮子などもあります。 湖沼や小川の減少・水質の汚染・河川の改修等によって他の多くの水生植物同様、存続の自生場所を失い絶滅の危機に瀕しており、早急な自然環境保護の施策が待たれるところです。

丹波市春日町のオグラコウホネ

初夏から秋にかけ直径2〜3cmの花をつけるスイレン科コウホネ属・日本固有で(愛知県、近畿、四国東南部、九州の一部の地域に分布 )多年草の水生植物で夏季(6〜8月頃)には直立した長い花茎を出し(一本の茎に花は一つ) その先端に小ぶりだが鮮黄色の花をつけます。 兵庫県レッドデータもAランクで絶滅を危惧されています。根が白く骨のように見えるところから【コウホネ(河骨)】と呼ばれ、なかでも「オグラコウホネ」は京都・巨椋(おぐら)池で発見されたのが名前の由来ですが、 池は昭和16年干拓事業で消滅しています。
三田市の池にて(オグラコウホネ)

その京都や大阪では絶滅の可能性が高く、兵庫が中心的な生育地として残っています。武庫川流域、三田や篠山の池等に数ヶ所点在しているが、河川改修や水質の汚れの進行で状況は厳しく、 絶滅の危機にさらされています。丹波市春日町の町中を流れる 黒井川にもこの日(H14.8.11)僅か4〜5個ではあるが、ゴミと汚濁で絶滅が危惧される状況の中にあって、照りつける太陽に向って精一杯、背伸びしながら鮮やかな黄色の花を開いて水面から顔を出している オグラコウホネを見つけました。
三田市の溜池にて

「水が汚れたら確実に消滅する」だろう黒井川の花を守るため地元の自然愛好家で「オグラコウホネの会」が結成されメンバーらに寄って 定期的に育成状況 ・河川の状況チェックや 清掃等保護活動が続けられているそうです。丹波市山南町野坂の池には国道側にありながらヒメコウホネが人目に付かず咲いています。車から気付く人も少ないようです。知らぬ間に消えるため池。 絶え間ない河川の改修工事。黒井川も、このオグラコウホネが見られる区間に河川改修工事計画が 進められているようだが、自然の生態系を壊すことなく、また春日町役場前の堤防に続く桜並木の景観を壊すことのないよう改修に配慮して欲しいものです。また直ぐ上流には田園が拡がっており圃場整備や 工場誘致でもあればと心配の種は尽きません。
三田市の溜池にて

春日町役場前の「黒井川を美しく」 春日ライオンズクラブのオグラコウホネの絵看板が悲痛な思いで訴えかけているようです。絶え間なく行き交う国道筋の峠近くに釣りにも人が寄りつく事もなさそうな池がある。 今日(H16.7.28)新聞の朝刊に篠山市南西部の武庫川に咲くコウホネの記事が載っていたので以前から気になっていた私の町・氷上郡山南町の小さな池に出かけてみた。其処に夏の陽を浴び、 風に揺れる小さな黄色い花を見つけた。此処は直ぐ近くに分譲宅地や土石採取場が有って心配だが土砂や汚水が流れ込む事は無さそうです。しかし不法投棄のゴミや工事用の砕石等が捨てられ、 流れ出たのか池端の泥土に混ざっています。


「乳の木さん」常瀧蜜寺の大公孫樹     青垣町大名草

大名草の常瀧蜜寺の背山に養老年間(717-724年)法道仙人開基を伝え七堂伽藍を備えた山岳修験の古刹:元常瀧寺跡がある。層塔堂宇跡の削平段や石垣が残る境内跡には「法道仙人お手植え」を伝える大銀杏があり、伝承通りなら1300年!?を経るが推定樹齢は凡そ8-900年程?。樹高30m、幹周り約11mは 県下第一の巨木です。
常瀧寺の大公孫樹

落雷で燃え炭化した空洞があり 枯れかけている様にも見える主幹からは瘤状の気根が乳房のように垂れ下がる奇観を呈している。銀杏は苗を植えると孫の代まで待たなければ実をつけないことから公孫樹とも呼ばれます。古くより表皮を煎じて服用すると母乳の出が良くなる効果があると云い、母乳の出の少ない婦人にとって樹液は母乳の分泌を促すと云う信仰から「乳の木さん」と呼ばれ親しまれ、大公孫樹の下には大正時代:弘法大師の石像が安置され霊樹の趣を添え霊験がありそうで、兵庫県の郷土記念物に指定されています。主幹から延びた枝からは乳房状の垂れ枝が多く、長い歳月の間に乳房状の垂枝の先端は地中に入って 再び樹枝となり、写真の様に一木で森林の観を呈して見るからに霊験ありそうです。登山口から此処に至る林道が崩れ廃道となり、元の登山道だが、途中に2基石仏丁石が残る。大公孫樹主幹の巨体から真横に延びる枝に垂れる巨乳の様な気根の先が地中に根をおろして、此処に芽を吹き今は其の巨乳を支える様な貌な非常に珍しい”ひこばえ”【三方の大カツラ等で観られる”株立ち”とは異なる】が二本?ほど立つ。訪れる人さえ稀な山中にあっては荘厳というより奇異で霊気を漂わせる不気味ささえ感じる。落ち葉からも樹勢なを盛んなようだが、此のイチョウは「乳の木」ならぬ「実の生らぬ雄の[父の木」さん!!です。天正期の明智光秀による「丹波攻め」による激しい兵火のなかで焼亡してしまいました。此処を「塔屋敷」と云い「銀杏の段」とも呼ばれていました。
常瀧寺は江戸時代前期の天和年間(1681-4)光覚法印(阿闍梨)により中興されるまでの記録はないが山号を石光山を称されていたが、京都愛宕より特別に愛宕山の山号を受け 現在の愛宕山常龍蜜寺(真言宗高野山南院多聞院末)に至っている。光覚法印の法験著しく・紀州徳川家の側室病気平癒を祈願・その功績により、側室の念持仏(大日如来像・台座に葵紋)を下賜され、以来常龍寺本尊として祀られている。中興の開山・光覚法印は元禄4年(1691)入寂されています。現在の愛宕山「常龍蜜寺」は山麓に正徳6年(1716)再建されたが、4度目の移転で明治5年に焼失し、同7年には再建され現在に至り「痴呆封じ観音」でよく知られています。

大名草の谷川に洗濯後のすすぎに来た女達が話している。「乳不足で困っていたお梅さんとこの蓉ちゃんが此の頃、丸々と肥えて可愛くなり乳が、なんぼでもでるそうな」「あれほど乳の出の少ないお梅さんが、こりゃまた、如何してやろ」「それが、何んでも」お大師さんの夢のお告げとかで、乳の木の皮を飲んだら、いくらでも出るようになって蓉ちゃんが呑むだけでは余って、隣のお富ちゃんにも呑ましてるって、いいまっせ」「…なんと有り難いこっちゃなあ」…遠近より、乳の出の少ないご婦人の信仰が有ります。

天然記念物として 町指定・昭和51年12月9日 兵庫県・平成5年3月26日に指定されています。


鴨神社と一ノ鳥居の大銀杏    市島町梶原

蛇行する竹田川右岸の平野部に丹波の小富士山を望む。其の東山麓を県道138号(西国巡礼:なりあい街道)が通じ、小富士の北方・田圃の中に漆喰白壁塀に囲まれる鴨神社(賀茂別雷神社)が鎮まる。賀茂別雷命は上賀茂神社御祭神で下鴨神社祭神:玉衣媛命の子であることから
鴨神社の鳥居と隋身門

賀茂御祖神社が正式名称。延喜式神名帳にある神野神社(元は氷上町御油の 円通寺境内に在った?)で円通寺創建に際し円通寺に土地を譲り北御油に遷った「賀茂野神社」(現:神野神社)と当地:梶原の「賀茂神社」(現:鴨神社)に分祀されたという古社。創建は不詳ながら、応永28年(1421)社殿再建の棟札がある。天正7年(1579)明智光秀の丹波攻め(黒井城攻略)の兵火に罹り 社殿他一切を焼失した。現在の本殿は延宝8年(1680)・拝殿は文化8年(1811)に再建された。慶長年間(1596-1615)領主:(旗本)川勝丹波守も崇敬の念篤く・元和元年(1615)神社の本殿改修等・繁栄維持に勤められた。
鴨神社鳥居から望む丹波の小富士

神社南側地区道沿い白壁漆喰塀が途切れる所 ・石鳥居を潜って振り向く南正面には、鳥居の枡枠内に小富士山の姿が収まる。隋身門の先には拝殿・幣殿・鴨神社本殿。境内の摂社には西に下賀茂神社・金刀比羅神社・本殿北背後に柿本神社・鴨荒魂社跡 ・北東に稲荷神社と神野神社・伊可古塚(伊加許也姫命は賀茂玉依媛命の母神)跡、東に猿田彦神社・東南の池中に 厳島神社等小祠が祀られている。
鴨神社拝殿の龍

鴨神社の隋身門・拝殿・本殿の紅梁・蟇股に施されている彫刻は中井権次正胤(熟練極めの60歳頃!?)と中井一統によるものか。鴨神社の東約250m程:県道138号(巡礼道・なりあい街道を 若狭街道<R175号>へは北約500m程で合流する)、梶原公民館の東北・集落内の四つ辻に鴨神社一の鳥居(大正3年<1914>3月再建で扁額は柏原中井権次彫刻・再建年代から神社彫刻も 中井正胤か柏原中井一統最後の喜一郎氏のものか?)が建ち、鴨神社御神木の大銀杏 (市指定<昭和54年3月19日>天然記念物)がある。痛みが激しく大規模な蘇生治療が施されたこと等が石碑に銘記されている。
鴨神社本殿蟇股の牡丹?彫刻

幹周(目通り)5.9m・樹高(現状14mだが幹は中央で裂け二分する。高く延びていたと思える直上する片側がバッサリ切断されている)・推定樹齢1200年とも1500年とも云われる。 「丹波(篠山市・丹波市)のむかしばなし」第1〜10集に載せてあるかは知らないが、県の伝説・民話集に収録されている鴨神社の大銀杏に纏わる法道仙人の伝説によれば 此の時樹齢200年…?。法道仙人は大化年間(645-650)頃・天竺から渡来した伝説 の人。 樹齢1200年なら平安時代初期:弘仁年間(810-824)嵯峨天皇在位の頃…。伝説内容では1200年程昔のお話し。伝承の真意や内容を糺すつもりは更々無いが法道仙人
鴨神社瑞身門の蟇股

仏教布教巡錫の旅の途中・丹波の梶原に来て祈っていると童子が白い玉を持って現れ「私は此処に住み ・此の玉を授ける者を待っていたが、やっと其の方に逢えた。どうか此の玉を此処に埋めてください…」そう言うと童子は西の方へ消えていった。銀杏の木からみて西とは鴨神社・玉は祭神の賀茂玉依媛命に通じる様?。 法道仙人は”鴨の大神のお告げ”と村人を集め、お経を唱えながら白い玉を埋めたところ、その場所からからは銀杏の木が芽を出し、幹の中程から太い根をのばしてドンドンと育ってゆき、 村人らは法道仙人の教えを守り銀杏の木を大切に守り育てたという。
鴨神社拝殿蟇股の花鳥の彫刻

天正7年(1579)明智光秀の丹波攻めに黒井城は落城。家老:荻野丹後守直国?(城史一切に不明・此の伝説の中にのみの登場人物!?)は、奥方と赤ん坊を連れ落ち延びたが、奥方は乳の出が少なくなり ・赤ん坊は日々弱ってゆく。荻野丹後は 留堀ヶ城(荻野秋清の城)近くの酒梨地蔵 (酒梨の子育て地蔵伝説 のこる)に一心に祈り二十一日の祈願を込めた満願の夜、夢に地蔵が現れ「酒梨の銀杏と・梶原の大銀杏は兄弟だ。乳根を削って煎じて飲めば、乳の出は良くなるだろう」…早速その通りにすると霊験忽ち現れ、
常瀧寺の大公孫樹

奥方は乳の出は溢れるばかり…赤ん坊は元気に育ったという。 この噂を聞き授乳祈願にお参りする人も多く、酒梨・梶原の両イチョウは地区の人達に守られて今も樹勢衰えず?青々とした葉を繁らせていると…時期外れに訪れた為か!!主幹根元辺りの傷や白化も進んでいるのか ?治療の跡も痛々しい。
(現地:鴨神社由緒案内板・大銀杏保護石標…等参照)

オオアカウキクサ   青垣町沢野にて…

今年(H18/3)も青垣工業団地の調整池に国と県の絶滅危惧類に指定されている 浮遊性シダ植物「アゾラ属(アカウキクサ属)アカウキクサ科」オオアカウキクサが 繁殖している記事を見て出かけてみた。ほぼ2年毎に丹波市各所で発生・出現しているといいます。一見・赤紫色をした浮遊物が盛り上がって水面一面を覆い、汚水処理場・浄化過程の様な状況に …汚物が浮いているようにも見えて気にも留めなかったのですが…。
絨毯を敷いた様に水面を覆うオオアカウキクサ

学名:アゾラ(Azollajaponica)日本固有種のオオアカウキクサは、冬の低水温期(1月〜3月)には赤くなり、排水の悪い水田・小さな池や運河・潅漑路などに分布し、 水面に浮いて生育する超小型(1〜3cm程)水生シダで、日本固有種だが!?「世界最大の群生地」としてギネス社に認定され話題を呼んだといいます。 土地造成と排水の改良、除草剤等農薬使用により汚染や水質汚濁等々の環境の変化によって激減しています。水分が無くなると直ぐに枯れてしまい、 冬でも水量が有り夏にも温度があまり上がらない湧き水や、除草剤の影響の少ない山間の湿田等に見られる絶滅危惧類です。
水路を流れ出たオオアカウキクサ

花が咲かず胞子で増えるシダ植物で、根は水中にあり・葉は浮葉となり水面に漂っている。類似種にアカウキクサが有るが、 違いや特徴は日本水草図鑑等で調べてみてください。此の光景も水温の上昇と共に消滅するといい、佐治川(現・加古川)に流れ出し排水溝の先、ヘドロの様な泥土を赤く染めたオオアカウキクサに近寄ってみます。 此の景観も水温の上昇と共に見られなくなり、緑化すれば・ただの雑草や藻と区別がつかないかも…ネ。


セツブンソウ・ユキワリイチゲ・アズマイチゲ  篠山町大山宮
 ====セツブンソウ======
鐘ヶ坂の手前・大山宮の追手神社にある大木は176号線からも良く目立つ存在です。日本一の千年モミと並夫婦イチョウ(樹齢約300年)と太く高く堂々としたムクノキがあるが、丹波に春を呼ぶ可憐な草花が突然の雪に驚きながらも淡い花びらを震わせながら咲き出して います。早春に目を出し節分の頃、花が咲くことから 「セツブンソウ」の名がある小さな白い妖精達が 山の斜面に寄り添うように群生しています。
【セツブンソウ】 キンポウゲ科セツブンソウ
【アズマイチゲ】

園芸目的で乱獲され絶滅の危機にあり、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧(きぐ)U類、兵庫県レッドデータCランクに指定され特別に保護する所も多くなってきていますが、 大山でも町の天然記念物(篠山市指定 )に指定され良い状態で保護されています。氷上郡青垣町にも群生地があるのですが、町内でも口外しない・教えないという誤まった秘密主義で保護されているようで私も良くは知りません。 乱獲者は既に場所を知っており人目が無い事は逆効果ですね。ただ稀少・貴重な花々を愛情を持って自然の中で観察したいところですがスプリング・エフエメラルの花々の自生地及び周辺は全て私有地なので、 広島等他府県のように観光PRされているわけではありません。土地の所有者にとっては好意で休耕期間中に 花を愛でてもらおうと 開放していただいても、単に観光として・その土地の提供者の理解や感謝の気持ちを 持ち合わせないマナーの悪さが目立ち、多くの人に知ってもらう契機を失っています。
【アズマイチゲ】キンポウゲ科イチリンソウ属(学名・アネモネ)
キクザキイチゲ

一般道ではない地区内道での大きな声での私語や民家の私道・畑地の畦道を利用させてもらう場合は踏み外したり、畝を崩すことの無い様に充分注意してください。 弱い山野草ですから多種の草花に押されたり圃場整備や開発等、里山が変容が絶滅を促進しているようです。趣味で持ち帰っても別の環境にはなじみにくいことも知るべきです。 山地の木陰に群生する多年草で、草丈5〜15cm・花径は約2cm葉は根生し幅3〜4cmで下刈りをしていないと芽を出さないそうです。
====アズマイチゲ======
白い花びらのように 見える部分はがく片で、花びらは退化して花の中心にある黄色の蜜槽と 呼ばれるものになっており殆んど目立たず、 葯(やく:雄しべで花粉のあるところ)は青紫色です。別名ウラベニイチゲとも呼ばれる一輪草で落葉樹林の林縁(山地の明るい林内)や林床の石灰質土壌を好んで生える多年草です。葉は3小葉に分かれ長い柄を持ち、 先は卵形で浅く裂ける。
【ユキワリイチゲ】

花は3〜4cmの白色で裏は薄い紅色か少し紫色を帯びることがある。 花弁に見えるのはがく片で8〜13枚ある。3月の中下旬、日の当る暖かい日中に開花します。低山徘徊派MLでも此の時期スプリング・エフェメラル 春のはかない命)と呼ばれる花談義のメールが飛び交います。セツブンソウ・アズマイチゲ・ユキワリイチゲ等の群落は加茂地 ・久保谷山裾を中心に拡がっていて、地域の人々の地道な保護と理解で、 群落は拡大傾向が見られるといいます。
セリバオーレン

 ====ユキワリイチゲ======

追手神社境内の石垣に側にロープを張って保護・育成されています。白い雪の中に 淡い黄色身を帯びた小さな花は、雪を割って咲く力強いイメードとは裏腹に俯き加減の元気のない姿でした。雪解け直後に雪を割って開花することから「雪割一華」の名があり、 別名をルリイチゲと呼ばれます。花は高さ7〜15センチ。葉は根ぎわに集まっていて、とんがっています。スプリング・エフェメラル (春のはかない命)の小さく可憐な早告げ花


お苗菊(篠山中菊) 篠山市

篠山地方における菊作りの伝統は 古く250年余の歴史があると云う。大正14年「第1回篠山菊花展」開催以来、 篠山観光の基点・大正ロマン館の南”たんば田園交響ホール”とは車道を挟んで西の駐車場(季節のイベント会場にもなる)では毎年秋にお苗菊を中心とした 篠山市菊花展(篠山市北新町)が開催されている。旧篠山藩13代(青山家第5代藩主1835-1862在任)青山忠良(ただなが )が大坂城に在職中 (天保11年(1840)大阪城代 1844年には老中に抜擢されている)が、天保・弘化(1830-48年)年中・江戸幕府か ら拝領をしたと伝えられ、純日本種の中菊は 一度満開になった花が花弁の裏を見せて巻き上がる「狂い」称される奇妙な特徴があり、関西では!?篠山地方特有の菊ですが、戦時中多くの品種が絶滅した。 …が地元の愛育家により今も残る数種の「お苗菊」は170年以上の伝統を受け継ぎ篠山地方特有の菊として伝えています。篠山中菊 【昭和初期:その一部が宮内省に献納された際「篠山中菊」と命名された】は、今もなお篠山藩門外不出・藩侯愛撫の「お苗菊」として 篠山地方の人々に愛育され、当地方にのみ存在する貴重な古典品種です

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