| 丹波市山南町 山南三山と紅葉三山の石龕寺 |
永和元年(1375)特峯禅師によって
開創され独立した一山として大いに栄えたました。経蔵、鐘楼等格式を保つ建造物で有名ですが仏殿(県指定重文)の天井の龍の絵は寺宝で必見です。特峯禅師は天竜寺の夢窓国師とは兄弟弟子で、
天竜寺とも盛んに往来があり仏光国師・夢窓国師・特峯禅師画像(いずれも室町時代の作)等が県重要文化財に指定されています。
道には室町時代の石龕寺町石(県指定史跡)も残り(後述),山門に立つ・桜材の寄木造りで彩色が施されている仁王像(金剛力士像)は鎌倉時代
・仁治3年(1242)仏師・肥後法橋定慶の作で、国指定重要文化財(昭和31.6.28)に指定されています。
古くから栄えた寺で、客殿前の谷側にある「大槽(おおぶね)谷の水」は、名水・霊水として持ち帰る人もあるようですが、
この水で聖徳太子が毘沙門天像を洗い、水面が絶えず黄金に輝いていたとの伝説が有ります。
博叉天)・南方(増長天=毘楼勒叉天)と共に四天王の一人です。
此の大糟谷には土師器等各年代の土器の破片が出土し、旺盛期の僧坊跡の削平地が点在します。平安時代:村上天皇(在位・天暦-康保:946-967)の帰依厚く、村上天皇が小野道風に命じて寺号の勅願を賜り、
諸堂宇を建立したといわれます。小野道風に書かせて下賜させたと伝えられる石龕寺扁額や、鎌倉時代の仏師:定慶作で、奈良東大寺南大門の金剛力士像(仁王)に次ぐ名作として、国重要文化財指定を受けています。
(よしあきら)には仁木頼章
・義長兄弟をつけて約2000騎を岩屋の石龕寺に留め、当寺の宗徒も忠誠をつくし、久下・荻野 ・波々伯部氏等の武士が馳せ参じたとあり、3月に丹波より上洛するまでの2ヶ月間(50日余り)この地に留まっていたと思われ、
室町期に大きく発展するきっかけとなっています。山南町村森からと同金屋より山越え(寺坂道)で奥の院に至る石龕寺への「道しるべ」として、
道筋には30基の寺に至る距離(本堂より何丁かを示す)町石が残っています。1m前後の五輪卒塔婆形が多く、正面に仏像や梵字が彫られており8町石には室町時代:応永6年(1399)造立と明記されています。
12町石は仁王像![]()
16町石(岩屋公会堂前)
室町期の石龕寺町石は県指定史跡(昭和40.3.16)です。町石として古いものでは大阪・箕面勝尾寺の豊能自然歩道にあるものが最古!で宝治元年(1247)に、
高野山のものが文永3年(1266)に建てられています。これからみても中世におけるの盛況を偲ぶことが出来ます。
高野山のは町石が建てられる以前には木札(木柱)が建てられていた由、本意からすれば是が最古かも!!!!!!!
山南三山周辺の山案内
山南三山石龕寺
岩屋山〜石戸山〜八ノ瀬 〜高見城山
慧日寺〜萬松山〜東山・常勝寺/
竹林山)
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