丹波市青垣町 沢野・八幡神社の翁三番叟 ・ 熊野神社裸まつり
  青垣町沢野 八幡神社の翁三番叟 ・ 青垣町遠坂 熊野神社の裸まつり

青垣翁三番叟   丹波市青垣町沢野  県指定・国指定選択芸能 S45・3・30文化財指定

承元3年(1209)鎌倉幕府から氷上郡佐治郷の地頭職を命ぜられ関東から入部して小倉に 岩本城(足立館)を築いた後萬歳山に 山垣城を築いて移った初代城主足立左衛門尉遠政 (全国の足立姓の元祖とされます)は周辺に多くの城塞を築いています。

露払いの”千歳”が踏まれ・・

その一つが二男・遠信の築いた小和田城で 城山の西麓に山垣の八幡社を分社して造営したという沢野八幡神社に於いて、室町時代末期頃から 村人達が五穀豊穣や天下泰平を祈願して舞を奉納したのが青垣翁三番叟のはじまりとされています。遠坂川に沿っての車道を北に進んで行くと沢野の小和田集落に入ります。 東側の田圃と集落内民家の側へ山裾を落とす尾根上に小和田城があります。
最初に”長寿を祈る翁舞”が歌舞される


山際に沿って北に進み寺内集落公民館先の民家の間の坂を詰めると 石灯籠側に”翁 三番叟・県指定文化財”の石碑が建つ八幡社の参道前に出ます。 祭礼 (体育の日か第二日曜!)には寺内・小和田地区の青垣翁三番叟保存会によって継承されている舞が宵宮と本宮に奉納される。

立烏帽子の”黒式尉”と侍烏帽子を付けた ”千歳”の掛け合い


笛・小鼓と拍子木の囃子に合わせて露払い<小学生?>の千歳(せんざい)の舞に続いて <青年部?>翁の面改め・面渡しの儀を経て65番あった演目を縮めて3番にしたといわれる能楽・翁三番叟の演能が行われ、 本芸だった長寿を願い寿ぐ翁(白式尉はくしきじょう)舞が最初に座長によって歌舞されます。 千歳の舞に演者が謳う「鳴るは滝の水…」とは清めの意味か!。「ちりやたらり たらりら…あがりららり…!?」、翁では「とうとうたらり…あがりららり… !?」と呪術的な謡(神歌)で始まる独特のもので囃子方の 「おうさえ…ゞ…?」とか「…オンハ…!!」の聞き慣れない謡
黒衣尉の ”捻じった様な足運びの意味は?”  

・囃しの合の手?等多分に 「謎を秘めた由来をもつ?」…「異国の言葉で舞う…!」のフレーズがPRポスターに躍る所以?ですね。翁は 「千早ぶる…千年の鶴は…万年の池の亀は…天下泰平・国土安穏…」と 祈祷の文句が謡われます。立烏帽子のシテ方が(?此処では既に 黒式尉の面を付けて子孫繁栄・世継ぎの無事を願う<中・高校生?の>父尉(ふじょう)の舞に続けて
”練り込み”で使用される花笠

千歳と黒衣尉の”掛け合い”となり(奏上文言はよく意味を聞かなかったので不明ですが、最後に黒式尉(こくしきじょう)の舞”鈴の段”を踏んで五穀豊穣を祈願し終わります。千歳の舞から黒衣尉の舞まで踏舞の際に足の運びでは大きく腰まで上げるしぐさといい、 捻じるような妙で無理な足さばきが気になります。
千歳が面箱を持ち舞堂に向かう

傀儡子に操られる人形の様ですが演舞者がグッと我慢してバランスを保っている様は鬼こそ にみるステップにも似てユーモラスです。武運恒久・長寿・子宝等の除魔や祝祷を祈願する民間信仰の名残を留め、 祭儀的な
呪師芸能の三番叟の舞に ・僅かに猿楽の持つ滑稽性を覗き見た様な気がします。
長寿を願う翁舞

なを丹波市では 青垣町沢野の翁三番叟のほかにも同様、氷上町稲畑・奴々伎神社の式三番叟や上新庄及び佐野地区等の神事に猿楽能・三番叟が奉納され、千歳の舞から黒衣尉の舞へと、 ほぼ同様の構成で演能されているようです。稲畑・奴々伎神社の式三番叟が先輩格の様ですが?、青垣三番叟が民俗文化財として昭和45年(1970)3月30日兵庫県無形文化財指定、昭和49年(1974)国指定選択芸能となっています。
(氷上郡の文化財 氷上郡教育委員会等参照)


今出権現熊野神社はだかまつり   丹波市青垣町遠阪(今出)1642

青垣町は但馬との国境丹波市最北端の旧宿場町:佐治宿。佐治宿を東に抜け出た「小倉」で県道7号と R427号が交差し、遠阪川沿いのR427号が遠阪集落を抜けて更に奥・遠阪峠に向う。 峠に差し掛かる手前で今出川親水公園 の案内看板を見て道なりに走ると今出川を渡ったところに今出の権現さん:熊野神社【本殿・社殿は丹波市指定S53.10.04】が鎮座します。
丹波八宿まつり”佐治旧宿場町”街角イベント風景

鳥居前を川沿い100m程先には蕎麦粉を搗く水車が廻る 蕎麦処”せせらぎ園”もある。此の施設背後の丘陵尾根上には遠坂城が在りました。文化の日にあわせて丹波八宿「青垣の秋」 イベントが丹波紅葉三山高源寺の山開きと熊野神社のはだかまつりに合わせ三ヶ所を結ぶ シャトルバスも運行され、
裸まつりの前に子ども相撲が奉納される

自然・観る・文化・歴史・展示・遊ぶ・産業・食をテーマに催されるイベントです。 飛脚箱の代わりの飛脚棒をバトン代わりの飛脚リレーや街角演奏会・青年部のリアル紙芝居・チエンソーアート等を見物しながらイベント会場ならではの鹿肉ピザ・半田うどん他青垣町内名物の出店を覗きながら、 蕎麦処三家協賛?の暖か鴨肉蕎麦を完食して熊野神社に向った。
舞堂と本殿を駆け足で往復する

熊野神社は亀山天皇の代(文応-文永 1260-75)紀伊熊野神社(熊野権現)本宮から御分霊を勧請し当初は井尻山【位知山<いじりやま>とも云い (現在社の約2km井尻谷の奥)に迎え祀った事に始まり、本殿は棟札によると室町時代中期:長禄3年(1459)
舞堂の中で激しくぶつかり合い・揉み合う・・・

現在の地に遷座され、 旧地には岩窟があり小社が祀られています。社殿は天文2年(1533)再建され更に元和8年(1622)屋根の葺替がなされています。 社殿の形式は一間に三間の三社流造で平入り切妻造の前面が長く伸びて
参拝後の本殿前で・・

階段を隠すいわゆる階隠しになっている。(丹波市文化財<昭和53年>指定)祭神に「伊弉冉命」を祀る。境内社のショウノ宮 (若宮神社)は但馬国造の始祖とされる「大多牟坂王」を祀り昔は「遠坂明神」「多牟坂明神」と称し、丹波市青垣町(旧遠阪村の遠阪・山垣・中佐治の三ヶ村や神楽谷の四ヶ村、 朝来市(旧朝来郡山東町)柴村の氏神で、
後から舞堂に入ってくる者を阻止する・・・!!

祭礼には:これら村々が立ち会って勧行し、嘗ては氏子の村から15才になった男子1人づつ12人が、神社前を流れる今出川で身を清め、注連縄を腰に捲いただけの素裸で(少年が成人した割礼の儀式を兼ねたものか!!?・昨今はそうもいかず白パンツと白い晒を腰に捲き)神事を奉仕したといい熊野神社裸祭保存会により伝承されています。
今出川で身を清め、駆け足で舞堂を目指す

熊野神社は「命神」ともいわれて 丹波・但馬側の氏子だけでなく、近在の但馬:山東町や京都夜久野町(福知山市)をはじめ播磨 ・摂津方面からも病気平癒・長命 ・病除けの神として崇敬され、
健康長寿を願い・大病をしたり健康が優れない人等多くの人々が参拝していた。
舞堂に侵入を試みる 後陣の男衆達・・・

裸祭りは快癒祈願が成就すると、例祭の時に元気になった証とお礼をこめて裸になって激しくぶつかり合い・押し合う習わしとなった祭りで丹波市無形民俗文化財(昭和48年10月04日)に指定されています。本殿で行われている神事と並行して掛け声勇ましく、本殿と舞堂の間を7回往復した後 ・神宝奉還の神事の後を追い
舞堂を三周する神宝奉還の行列


舞堂を3回巡った後・御幣の奪いあって身の守りとして持ち帰られる。今出川での禊に始まり 舞堂や本堂前での揉みあい・ぶつかり合い、御幣の奪い合いと・・強く逞しい男性の 存在感を示し、結婚相手としての自己PR・厄落とし・五穀豊穣と、全国で行われてきた裸祭りの主旨と大きくは変わり無い。
病気平癒の快気報告行事が本来の起源なので!!、老人・中年・・・と高齢者が目立つのはご愛嬌・・・でしょうか。
御幣を持ちかえる・・・

”はだかまつり”神事の後は本殿横に組まれた櫓の上から【こけら御供(御神餅の赤飯を栗の木でつくった3X4cm程の御神札)に挟んだもの】が参拝者に撒かれます。 此れを煎じて飲むと頭痛・風邪等に効果があると云われます。
(現地案内板:熊野神社由緒 氷上郡の文化財 「裸祭」はwikipedia等 参照)

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