丹波市青垣町    沢野・八幡神社の翁三番叟・熊野神社裸まつり
 青垣町沢野 八幡神社の翁三番叟 青垣町遠坂 熊野神社の裸まつり

青垣翁三番叟  青垣町沢野 県指定・国指定選択芸能

承元3年(1209)鎌倉幕府から氷上郡佐治郷地頭職を命ぜられ関東から入部し小倉に岩本城(足立館)を築き後萬歳山に山垣城を築いて移った初代城主足立左衛門尉遠政

露払いの”千歳”が踏まれ…

(全国足立姓元祖)は周辺にも多くの城塞を築いている。二男・遠信の築いた小和田城で城山の西麓に山垣の八幡社を分社造営した沢野八幡神社に於いて室町末期から村人達が五穀豊穣や天下泰平祈願の舞を奉納したのが青垣翁三番叟のはじまりとされる。遠坂川沿いの車道を北に進むと沢野の小和田集落に入り東側の田圃と集落内民家側へ山裾を落とす尾根上に小和田城がある。
最初に”長寿を祈る翁舞”が歌舞される


山際に沿う寺内集落公民館先の民家間の坂を詰めると翁三番叟・ 県指定文化財の石碑が建つ八幡社参道に出る。祭礼日には寺内・小和田地区の青垣翁三番叟保存会によって継承されている舞が宵宮と本宮に奉納される。

立烏帽子の”黒式尉”と侍烏帽子を付けた"千歳"の掛け合い


笛・小鼓と拍子木の囃子に合わせて露払い(小学生?)の千歳の舞に続き(青年部?)翁の面改め・面渡しの儀を経て65番あった演目を縮め3番にしたといわれる能楽・翁三番叟が演じられ、本芸の長寿を願い寿ぐ翁(白式尉)舞が最初に座長によって歌舞される。千歳の舞に演者が謳う「鳴るは滝の水…」とは清めの意味か!。「ちりやたらり たらりら…あがりららり…!?」、翁では「とうとうたらり…あがりららり…!?」と呪術的な謡(神歌)で始まる独特のもので
黒衣尉の”捻じった様な足運びの意味は?”

囃子方の「おうさえ…ゞ…?」とか「…オンハ…!」の聞き慣れない謡・囃しの合の手?等多分に「謎を秘めた由来をもつ?」…「異国の言葉で舞う…!」のフレーズがPRポスターに躍る所以ですね。翁は「千早ぶる…千年の鶴は…万年の池の亀は…天下泰平・国土安穏」と祈祷の文句が謡われ立烏帽子のシテ方 (既に黒式尉の面を付け子孫繁栄・世継ぎの無事を願う(中・高生? )の父尉(ふじょう)の舞に続き 千歳と黒衣尉の”掛け合い”となり
”練り込み”で使用される花笠

(奏上文言や意味は不明だが最後に黒式尉の舞 鈴の段を踏んで五穀豊穣を祈願し終わる。千歳の舞から黒衣尉の舞まで踏舞の際に足の運びでは大きく腰まで上げるしぐさといい傀儡子に操られる人形の様に・捻じるような妙で無理な足さばきが気になる…が演舞者がグッと我慢してバランスを保っている様は
千歳が面箱を持ち舞堂に向かう

鬼こそにみるステップにも似てユーモラスです。武運恒久・長寿・子宝等の除魔や祝祷を祈願する民間信仰の名残を留め、祭儀的な
呪師芸能の三番叟の舞に猿楽の持つ滑稽性を覗き見た様な気がする。丹波市では青垣町沢野の翁三番叟のほかにも氷上町稲畑・奴々伎神社の式三番叟や上新庄及び佐野地区等の神事に猿楽能・三番叟が奉納され、
長寿を願う翁舞

千歳の舞から黒衣尉の舞へと、ほぼ同様の構成で演能される。稲畑奴々伎神社の式三番叟が先輩格の様だが?、青垣三番叟が民俗文化財として昭和45年(1970)3月30日兵庫県無形文化財指定 昭和49年(1974)国指定選択芸能となっています。
(氷上郡の文化財 氷上郡教育委員会等参照)


今出権現熊野神社はだかまつり  青垣町遠阪(今出)1642

青垣町は但馬境丹波最北端の宿場:佐治宿を東に抜け「小倉」で県道7号交差して遠阪川沿いR427号を遠阪集落・遠阪峠に向う手前で今出川親水公園の案内板を見て
丹波八宿まつり”佐治旧宿場町”街角イベント風景

道なりに走り 今出川を渡ったところに”今出の権現さん”として崇敬されてきた熊野神社が鎮座。「今出」の語源”いま神様が出たぞ”となった岩の洞が井尻山(位知山)8合目付近(現在地より約2km井尻谷の奥)にあり鎌倉時代中庸期:亀山天皇(在位文応元年(1260)ー文永12年(1275)に紀伊熊野神社(熊野権現社)本宮から分霊を勧請し、
裸まつりの前に子ども相撲が奉納される

遷移し祀られていた所で旧蹟は遺り平成21年新祠が鎮座する。主祭神に「伊弉冉(いざなみ)命」を祀る。当初は井尻山【位知山(いじりやま)とも云い(現在社の約2km井尻谷の奥)に迎え祀った事に始まり、本殿は棟札によると室町時代中期:長禄3年(1459)現在の地に遷座され・旧地には岩窟があり小社が祀られる。社殿は天文2年(1533)再建され更に元和8年(1622)屋根の葺替がなされています。
舞堂と本殿を駆け足で往復する

社殿の形式は一間に三間の三社流造で平入り切妻造の前面が長く伸びて階段を隠すいわゆる階隠しになっている。祭神に「伊弉冉命」を祀る。境内社のショウノ宮(若宮神社)は但馬国造の始祖とされる「大多牟坂王」を祀り昔は「遠坂明神」「多牟坂明神」と称し、
舞堂の中で激しくぶつかり合い・揉み合う…

青垣町(旧遠阪村の遠阪・山垣・中佐治の三ヶ村や神楽谷の四ヶ村、朝来市(旧朝来郡山東町)柴村の氏神で祭礼には:これら村々が立ち会って勧行し・嘗て氏子は村から15才になった男子1人づつ12人が神社前を流れる今出川で身を清め注連縄を腰に捲いただけの素裸で (少年が成人した割礼の儀式を兼ねたものか?昨今はそうもいかず白パンツと白い晒を腰に捲き)神事を奉仕したといい
参拝後の本殿前で…

熊野神社裸祭保存会により 伝承されています。鳥居前を川沿い100m程先には蕎麦粉を搗く水車が廻る蕎麦処”せせらぎ園”もある。此の施設背後の丘陵尾根上に遠坂城がある。文化の日にあわせ丹波八宿「青垣の秋」イベントが丹波紅葉三山源寺山開きと熊野神社のはだかまつりに合わせ三ヶ所を結ぶシャトルバスも運行され、
後から舞堂に入ってくる者を阻止する…!!

自然・観る・文化・歴史・展示・遊ぶ・産業・食をテーマに催されるイベント。飛脚箱の代わりの飛脚棒をバトン代わりの飛脚リレーや街角演奏会・青年部のリアル紙芝居・チエンソーアート等を見物しながらイベント会場では鹿肉ピザ・半田うどん他青垣町内名物の出店を覗きながら蕎麦処三家協賛?賛?の暖か鴨肉蕎麦を完食して熊野神社に向った熊野神社は「命神」ともいわれて丹波・但馬側の氏子だけでなく近在の
今出川で身を清め、駆け足で舞堂を目指す

但馬:山東町や福知山市夜久野町をはじめ播磨・摂津方面からも病気平癒・長命・病除けの神として崇敬され健康長寿を願い大病をしたり健康が優れない人等多くの人々が参拝していた。裸祭りは快癒祈願が成就すると、
舞堂に侵入を試みる 後陣の男衆達…

例祭の時に元気になった証とお礼をこめて裸になって激しくぶつかり合い・押し合う習わしとなった祭りで丹波市無形民俗文化財(昭和48年10月04日)に指定されている。本殿で行われている神事と並行して掛け声勇ましく本殿と舞堂の間を7回往復した後・神宝奉還の神事の後を追い舞堂を3回巡ったあと
舞堂を三周する神宝奉還の行列

本殿前では御幣の奪いあって身の守りとして持帰る。今出川での禊に始まり舞堂での揉みあい・ぶつかり合い御幣の奪い合いと…強く逞しい男性の存在感を示し、結婚相手としての自己PR・厄落とし五穀豊穣と全国で行われてきた裸祭りの主旨と大きくは変わりない。
病気平癒の快気報告行事が本来の起源なので!老人・中年…と高齢者が目立つのはご愛嬌…でしょうか。
御幣を持ちかえる…

”はだかまつり”神事の後は本殿横に組まれた櫓の上から【こけら御供(御神餅の赤飯を栗の木でつくった3X4cm程の御神札)に挟んだもの】が参拝者に撒かれます。此れを煎じて飲むと頭痛・風邪等に効果があるという。
(現地案内板:熊野神社由緒 氷上郡の文化財 「裸祭」はwikipedia等 参照)

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