道の駅からの城館廻り  但馬楽座から:軽部城・上野城・安井砦
但馬:養父市 (五万図=出石)
道の駅:但馬楽座からの城館廻り 2008年04月13日
近畿の山城: 軽部城 安井砦  上野城
R9号上野から軽部城 (手前の丘)と上野城(左中央ピーク)

R9号線を養父市養父町に入り「錦鯉の里」養父のシンボル看板を左手に見て谷間地峠を真直ぐ下ってくると南但馬トンネルを抜けるバイパス道と R312号線に分岐して広谷大橋を渡る手前南詰めに道の駅と温泉とホテルが揃っている「道の駅:但馬楽座」がある。駐車場から見える三つの城が今日訪城を目指す三城です。兵庫県の埋蔵文化財遺跡分布図で城跡の所在を確認して、イザ出掛ける前に下調べしょうと、資料を探してみても余り知られることも無いローカルな城郭の情報を、 手にとって見ることが出来るのは「兵庫県の中世城館・荘園遺跡 県教育委員会」が市の中央図書館に一冊有るだけ。
軽部城:幅狭い尾根上を遮断する堀切

先日の石禾三城も”畑たか城”として石禾城だけが載せてあるだけで、それも内容は現状を簡単に記されているだけで、 「遺構はまだ確認していない・・・」とある。昭和57年発行の古い資料なので、其の後の調査・発見等によって当概城そのものの記事内容や、周辺の城郭について追記や添削修正があるかもしれません。今日訪れた 「道の駅:但馬楽座」周辺の城は、直ぐ真近にある三城を廻りますが、この三城についても軽部(かるべ )城が記載されているだけ。それも城史については一切不明。稲津城との関連が示唆されてはいるのですが、 其の稲津城もまた城史については不詳・遺構についても削平地とあるだけ。
上野城:主郭を廻る帯曲輪

まして軽部城から南へ延びる延長線上の尾根続きの頂部に在った上野城や、 R9号線を真下に望む丘陵尾根から、枝尾根とも呼べない襞の一部がR9号線横を流れる小さな溝谷側に落ち込む直前・途中の緩やかな傾斜を2段ばかりに削平しただけの、見張台と思える安井砦については、 プロローグとしての・なんのコメントも思い浮かばず、訪城レポートはUPも捗らず停滞したままとなっていますが、それでも記憶に残っているうちに(放っておくわけにもいかず)…と、後日:地方郷土史等を閲覧して 追加情報でもあれば幸い・・・と思いつゝ消化不良のままの見切り発車を先ずはお詫びいたします。



 軽部城 安井砦 上野城
 

軽部城(小山城)   xxxCa80m   養父市養父町上野字小山

但馬の土産・海産物等の店が並ぶ谷間地峠を下ってきたR9号線は、東上野の上野南交差点でR312号線と 南但馬トンネルを抜けて八鹿町で分岐する 旧?R9号線に合流する現R9号バイパス道に分岐する。其の二つの国道に挟まれた三角州状の広谷大橋手前に建つ「道の駅:但馬楽座」の駐車場からは、周辺を見回して見て 一番目立つ姿を見せるのが軽部(かるべ)城です。
軽部城城最北端曲輪と堀切・奥中央建物は道の駅 「但馬楽座」

上野南交差点側には溝谷が流れ、谷に覆い被さるように372m峰から西へ張り出した丘陵尾根の末端部が、大屋川に架かる広谷大橋南の、谷間地〜上野南交差点〜上野交差点側へと流れる 溝谷に急傾斜で落ち込みます。此のR9号線を足下に見る尾根先の短い尾根の山腹途中を2〜3段削平しただけの安井砦が在りますが、R9号線を挟んだ西向かい、工場や民家の側を南北300m程の台形の、 土取り場の様な地肌を見せる崖状:比高25〜30m程の小さな丘陵部が軽部城です。石禾の三城が並ぶ養父と朝来市境界尾根の石禾下城跡から北西に延び出す尾根末端ピーク239m(ピークから外れた西斜面下に三角点 ・点標名:馬の秣169m)があり、此処からは北方を東西に流れる大屋川流域の軽部荘 (広谷地区一帯!!軽部城は 上野地区に在るので上野も含まれていると思われますが?広谷には古来市場があり、道の駅「但馬楽座」も此れに因んだ名前なのかも?、今は軽部橋に名が残るところ)を一望のもとに見下ろす上野城があります。
軽部城:城域中央付近の堀切とR9南の谷間地峠方面

その軽部橋を 南に渡ったところが上野地区。 上野城から更に延び出した尾根先が上野地区へ落ち込んだあと、比高僅か25〜30m足らず・南北に延びる約350m程の台形の独立丘陵があります。頂部約200m程には幅の狭い尾根筋の両肩一杯に削平され、 北末端部では、北方から東面が崖状を呈しており、「但馬楽座」から大屋川沿いに十二所や稲津に向う車道側から軽部城を望むと此の北端の断崖状を正面に見て、さて何処から取付こうかと躊躇してしまいます。 低い丘とはいえ軽部荘の足下に上野地区・大屋川の川向に広谷地区を望む。軽部城についての築城時期や城主等 ・城史は不明ですが、 十二所城と共に、 稲津城に入る大屋川沿いの左岸入口を押さえる位置にあり、稲津城とはなんらかの関連があったのではないかと推察されます。
軽部城:城域南西面の井戸跡?

軽部荘は稲津氏が鎌倉時代初期:朝来〜養父の所領を与えられ地頭として 来住しますが、南北朝期:暦応3年(1340)には安倍直美【足利尊氏の執事 ・高師直の直臣の一人】が軽部荘地頭となっています。軽部城との関連等は不明ですが、領有地の監視位置として、さらには山陰道 R9号線広谷大橋から谷間地峠をJR山陰線養父駅側の堀畑へ越す、谷間の出入口押さえる要衝で、監視守備するのに重要な位置を占めているようです。東面の断崖状の現状が土取りのよるものかは知らない が、民家裏手を南側から丘陵中央付近へと、北に斜上する道があり幅狭い尾根に乗るが、此処が既に堀切。西斜面へは ・竪堀?とも思える直ぐ下方に田畑が迫る。藪っぽい狭い尾根を北端に向う途中にも 曲輪ごとに・・とも云えるほどに、4〜5箇所の堀切が尾根を断ち切る。
軽部城 :城域中央付近の堀切と曲輪

もときた堀切に戻って南への尾根西斜面上には居住空間を思わせる丁寧に削平された 曲輪も点在している。尾根上に連なる曲輪の遺構からは戦国期のものとされますが横堀・竪堀等は不明瞭。極端に狭くなった南端部の小さな墓地に降りた立った。安井砦と共に上野城の砦としての機能を残して 戦国末期には廃城となり、南側の尾根に続く上野城に移ったとも推察されている様です。
(兵庫県の中世城館・荘園遺跡 県教育委員会 を参照)

安井砦    xxxCa90m   養父市養父町上野 ・上箇字安井

道の駅「但馬楽座」から見て、あそこだろうと同定して向った安井砦でですが、此処ほど判り難い砦も稀れかもしれません・・・?。丘陵の主尾根筋に在るわけでもなく、見通しの良い高所・ピークでもなく、顕著に突き出た枝尾根末端に位置してるわけでもない。丘陵からは数ある山襞の一つ ・その短い斜面の端近い急傾斜。
軽部城北麓付近からの安井砦(赤屋根の右手上部)

谷間地峠から上野南交差点〜上野交差点側へとR9号線沿いに流れる溝谷があり、 溝谷に覆い被さるように372m峰から西へ張り出した丘陵尾根は、R9号線の大屋川に架かる広谷大橋南詰めに其の末端部が落としています。 此のR9号線を足下に見る短い尾根端が溝谷に落ち込む急傾斜部を2〜3段削平しただけの安井砦が在りました。 上野南交差点の東側真上と同定しますが、深い溝谷を越えて対岸の崖状の尾根に取付ける場所へは、一本の小さな白い橋が架かりますが、 何かの施設への専用橋の様で、入口部のゲートは施錠されていますが、五万図 「出石」を見るかぎりでは送電線巡視路の起点の様です。
安井砦へは主尾根から短く狭い尾根を少し下る

上野交差点信号側には「古城」の店名看板を見る…小城地区に向う交差点でもあり心ときめくが、 小城を古城と呼び代えただけなのかも・・。大屋川が円山川と合流する藪崎まで城館遺構は無さそうです?。 溝谷に枕木に使用されていたらしい木材が二本渡されているのを幸いに、此処から檄斜面を尾根筋に向かう。 尾根沿いに山道が現れるが、山道沿いの数箇所には径1〜1.5m程の、同じ様な竪穴を何箇所か見る。いずれも大きさ・深さ・垂直に掘られた ?井戸状の穴は何なんだろう?。先日の石禾下城で見たのと同じだが、
安井砦:二段の削平地の足下にR9号線と工場の屋根が見える

近くに露岩・岩脈も無さそうなところで鉱石等の試掘穴とも思えず、猪等の落とし穴・・・? 緩やかになった尾根筋に二段程の平坦地があるが城遺構 ?では無さそう。其の少し先で尾根筋を離れ、西方へ短く突き出して 落ち込む尾根状が最も西へ延びていきそうな斜面を降ると此処に二段の平坦地があり、車騒が聞こえR9号を走る車影が見える。尾根上に在れば大屋川河口(円山川)監視出来る位置に有りながら、尾根西側斜面に在って 軽部荘と谷間地入口の街道監視以外には、通信の中継基地としても適していない様です?


上野城    xxx  239m    養父市養父町上野字馬ノ秣(まぐさ)・末谷

道の駅「但馬楽座」からは、いま下って来たR9号線谷間地峠を南方に振り返ると、左手(東側)の上野交差点側に「古城 」の店看板を見て、儚い期待を込めてR9号線に覆い被さる程に迫り出してきた丘陵上部に在った安井砦 を望み見たものでした・・・!!。
上野城最北部:突然の様に現れた曲輪

R9号線を挟んだ西方には北面から東面に切立つ断崖を見せる台形の丘陵には軽部城が在り、 其の奥に峰続きのピークには上野城在りますので、先ずは軽部城を南端までとレースして東上野集落の墓地に降り、 集落内に地区道を越えた民家脇から、向かいの丘陵尾根筋へ続くと思えた植林道らしい広い山道から取付きます。
上野城:尾根を遮断する堀切は竪堀となって延びる

作業林道らしい道は2〜3回折れて、尾根西面沿いに降って行くようなので、林道を離れて急斜面の尾根筋を目指します。尾根筋が広く緩やかになってきた所で、突然城遺構の前ぶれ?もなく・・前方に2m程の切岸を見せて曲輪が現れます。
上野城主郭

其処からは1m前後の低い段差で曲輪が続き、 途中には堀切が2ヶ所!!有り、最初の堀切は丘陵の東西斜面に竪堀となって落ち込んでいます。軽部城同様に細長い尾根筋を堀切で遮断しながら幾つもの曲輪を並べて、最高所(馬の秣 !!239m)に位置する上野城の主郭に着きます。此の山頂部より西70mも下方へ降った山腹に点名:馬ノ秣(まぐさ)169mの三角点石標が 設置されているのですが・・・・・。
上野城:主郭を取巻く帯曲輪

道の駅「但馬楽座」からは比高190mの上野城。主郭は2m程の切岸上にあり、主郭に周りを幅 2〜3m程の帯曲輪がグルリ取巻いています。軽部城さえ城史不詳ですが、上野城の城域・位置と要害の地形・なによりも堀切 ・竪堀・主郭を囲む帯曲輪等の城遺構からは軽部城築城以後の築城・改修されているものとして、軽部城に替わって上野城が築かれ・此処に移り、室町期以後戦国期まで機能していたと推察されています。

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