湖と温泉と…東条町の山と城U 天神山城・・・
兵庫 阪神(五万図=北条)
近畿の山城  天神山城

天神山城へ行くのに、南面の街道筋(県道75号<小野藍本線>)からの取付き点が判らない。県道からでも比高50m程なので何処からでも …と思ったが、余所者が勝手に路地に入って来る…との人目も気になり、西山麓を掎鹿(はしか)寺に向かって北に進む車道を選んだ。結果として城探索ルートとしても最適だった様です。
天神:一之宮神社
 
近畿自然歩道案内標柱が「掎鹿寺」への方行を示す車道は、直ぐ坂道上方の車道脇に建つ 石鳥居と神社案内説明板が目に付く。一之宮神社は天神山西南山麓に位置して鎮座する。神社背後から直接登れそうな山道は、山上部に祀られる愛宕社?に向っているものか? 一之宮神社は神代の昔 ・素盞嗚命が高天原から天降り、諸国巡視の折、当地に休憩の遺跡を奉祀して素盞嗚(大神)尊を御祭神とした。其の後:人皇第十代崇神天皇の御代に 大國主(大神)命・事代主(大神)命を合祀したとされ、神紋は左三ッ巴。

天神山城 :U郭東南下部の愛宕社?を祀る曲輪!!

 
御由緒に創建は不詳だが、和銅7年(714)頃成立の「播磨国風土紀」の賀毛(かも)郡端鹿(はしか)里に記述されている神社で、当地氏神の総社として 崇敬されています。中世には一之宮牛頭天王として繁栄し、人々の信仰の中心になったという。現在の社殿は江戸時代:正徳4年(1714)に再建されたもの。
(現地 :一之宮神社案内板 播磨国風土紀 等を参照)



 天神山城
 

天神山城  城山 138m    加東市(東条町)天神字中筋 ・掎鹿谷字城山
 
R175号線を南下 「闘竜灘」への分岐交差点を見送って、緩やかに下る国道を直進し滝野社インター出入り口を過ぎ、中国自動車道高架に沿った細い道<県道17号線>に入り、其のまま三草山登山口を左に見送ると、右手南方の丘に米田小学校が見える。学校敷地や正門前付近の田畑が上久米陣屋跡。 再び中国自動車道沿いの下り坂下の交差点「天神北」で県道75号線へと左折すると、
天神山城址と北西部の家臣屋敷跡?段曲輪群
 
直ぐ旧街道の面影を残す民家や、天神商店街 !!?入口部分には播磨清水寺(観音霊場第25番札所)の西国巡礼道と、吉川・三田を経て大坂へ向う分岐点らしく大きな石道標が残されています。北側の宅地に覆い被さるように迫る山端の頂部(城山 138m)一帯に 天神山城の城遺構が残されています。

天神商店街筋から天神山

R175号線滝野社インターから吉川を経て三田市や神戸北へ向かう県道17号線と、黒谷で東条湖や清水寺への分岐を過ぎてJR福知山線の相野・藍本中間点付近へ出てR176号へ繋ぐ街道筋(県道75号線)が交差する 「天神北」から西へは東条川沿いに小野市や三木市へも繋がり、山陽道・播磨・摂津 ・丹波・京都を結ぶ生活・文化・軍事的にも需要な要所の
北尾根側より鞍部の民家と天神山城址

交差点ともなっています。天神山城は天神・掎鹿(はしか)谷等の領地を支配した在地豪族:東条氏による築城とされます。 東条氏は赤松政則に従って文明の役?等に戦功が在ったものか!!…文明14年(1482)赤松政則から刀を拝領しています。 「清水寺文書」の東条氏の居城であったとされ、東条氏の本拠城だったようです。「加東郡誌」には天正8年(1580)三木合戦の際には、武功のあった久米荘(加東市社)の土豪:久米五郎が居城していたとされ、
鞍部の民家前から溜池・段曲輪群

播磨守護の赤松氏や別所氏に付いた城主により、此処 :天神山頂に在って城下の要衝監視の任に当たったのでしょう。城山の西側から坂道を北に入る車道が有る。 掎鹿寺に向かう近畿自然歩道の標柱がありハイキング道ともなっているようです。車道に面して一之宮神社の石鳥居付近が道狭くなっているが、過ぎると「加東市コミュニティセンター東条会館」が在り少し広くなった 車道がさらに延びて特別養護老人ホーム”伽の里”前に着く。
U郭から主郭に入る登城道と虎口

駐車場の先には数段の段差を持って削平地があり一部はいかにも曲輪然としている。直進する車道は狭くなり掎鹿寺へ向う。 右折する角に宗教法人”日の神教団:瑞宝苑”の大きな石標が立つが、車道を挟んで北の民家側・南の”伽の里”の 駐車場上部にかけては、いかにも家臣屋敷群の跡地の様相です。山頂までは比高40mもない程。
U郭から主郭に続く空掘?と土橋状の通路
 
車道は天神山の北側鞍部を抜け少し下ったところが 瑞宝苑で、北側に延びる丘陵尾根続きも不整地ながら天神山城関連の遺構か?曲輪跡らしい所もある?。鞍部手前に最奥の民家が有り、溜池との間に車幅の未舗装道が先に向う。 山上部に東条町営の給水場が有った時の作業道だったか?。広いが藪化した場所で歩道さえ薄くなって消えるが、 直ぐ表われる山道の先が愛宕社を祀って有るらしい小祠前の平坦地で終る。参道が南の天神から上がってきている。少し戻って上部に向う道がU郭の東側から主郭北東下方のV郭へ腰曲輪となって延び、 藪の中のV郭は更に主郭を北から西・更に南側へと廻り込んで捲いている。
天神山城主郭

西面から主郭への斜面には井戸跡らしい凹角部が有った。主郭北側はV郭下方にも段差をもって小曲輪が3段程続く。 肉眼では段差もよく判るが、 藪中なので画素数を極力抑えて表示している画像では判断できない!!?。 城の見所はU郭から主郭に向う箇所。主郭側から向うと行き止まりの様に見えるU郭の西端に沿ってU字状(内側は空掘状)にカーブする土橋を進むと上部主郭南端の虎口を通り主郭に入る。
V郭腰曲輪西面の竪堀?

西面腰曲輪からは登って来た山道へ二本ばかり 短い竪堀状の溝が落ち込んでいる。防備遺構に堀切を見ず明確な土塁も無さそうですが、天正期まで使用された城なら竪堀は有っても…!!山裾に見た家臣居住区?らしい遺構があるので、竪堀と見えたのは搦め手の堀底道と虎口だったのかも?。 山城部の曲輪の削平段以外:遺構の無さには少し食傷気味で天神山を降ってきた。天神商店街に地場産の加工食品直売店が有るので、人気?の巻き寿司を買ってみた。混ぜ御飯が高いと思ったのが要因ですが !!帰りに寄った”道の駅とうじょう”でも販売されていた。
(兵庫県中世城館・荘園遺跡・県教育委員会 を参照)

 本誌 丹波霧の里HOME 別冊 別冊丹波霧の里HOME
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送